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2007年8月 3日 (金)

本をよむこと・考えること

季刊教育フロンティアNo,1 教育出版1963 p8-15
「プログラム学習における思考の訓練について」

■本を読むこと・考えること

 本を読む場合は、話を聞く場合の音が眼を通じて入ってくるということになる。その他の点では聞くということと変わりない。ただ文字を読むというのは、音の場合のように消えてなくならないから、その点は考えるのに有利である。自分で見直すことができるからである。くり返すということが可能になる。
 
 ところで、もう少し論をすすめてみる。これは話を聞く場合でも同じことであるが、文字の場合の方がわかりやすいからここで考えるわけである。たとえば文字は一つの符号であるから、それが指示する具体的な事実があるわけである。
 例えばここに問題にしている「本を読むことは考えることとどういう関係があるか」という文章でも、そこには本という符号で具体的なあるものを指示しており、読むということも具体的なある行動をとりあげているのである。しかしこれを読むものからすれば、本を読むという文字のつながりで頭の中に思い浮かべる事柄は人によって必ずしも同じではないであろう。本というのも、読むというのも、かなり巾の広い意味を含んでいるからである。ということは、文字に書かれていることを刺激として考える場合も、実際は読んでいる者が、自分のもっている物を材料にして読んでいる、考えているということである。そうして相手の書いたことを理解したといっても、それは自分のもっている限りの力で理解しているので、やはり自分なりの理解である。それが相手と全く同じかどうかは、もっとつきつめていかなくてはわからない。つきつめていけば、相当な所まで同調し得るであろうが、文字による場合はつきつめるということは普通行なえないことが多い。話を聞く場合だと、その場でつきつめることもできるが、文字の場合はむずかしいのである。
 しかし本質的に、話を聞く場合も、文字を読む場合も、自分のもっているもので考えているということは変わらない。外からは刺激が与えられているということである。自分が考えるから、相手の話がわかり、相手の書いていることがわかるのである。わかると思うのである。むしろ、自分で考えていることが自分でわかるということなのである。そして、相手をそう考えていると思うということである。
 
さてこのように考えてくると、人は話を聞いたり、本を読んだりして、自分なりに考えてわかっているということになる。この場合、自分で考えているのだということは大切なことである。ただ考えているといっても、それは、相手の話を聞いて、あるいは文章を読んでわかったと思うときにおいてそうなのであって、聞いてもわからない、読んでもわからないというのは、そのように考えられなかったということである。
(つづく)
■物を見ること・考えること
■考えさせるということ
■関心のもち方を整理すること

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