最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« プログラム学習における思考の訓練について | トップページ | 本をよむこと・考えること »

2007年8月 3日 (金)

人の話を聞くこと・考えること

季刊教育フロンティアNo,1 教育出版1963 p8-15
「プログラム学習における思考の訓練について」

■人の話を聞くこと・考えること
 人の話を聞くのは自分で考えることではないと一般には思われている。果たしてそうであろうか。なるほど話す人は自分で考えた結果を話す。その意味では聞く人は自分ではじめて考えているのではない。しかしはじめて考えているのではないが、聞いているというのはただ耳に聞こえているということではあるまい。そういうのも聞いているという言葉で表すかも知れないが、それは聞けども聞こえずの類であろう。聞けども聞こえずというのは心がそこにないからだという格言があるが、それは聞くということは心をこめて聞くことで、ただ音を聞くという問題ではないことを言っているのである。
 音はさまざまな符号の系列として耳に聞こえてくるが、それが鼓膜にふれて,大脳細胞に伝わるのである。そこで大脳細胞が符号に従って働くのである。それが話す人に全く同調していれば、話す人と同じように考えているということである。
 そういうように大脳が働かなければ、人の話しを聞いてもわかるとかわからないとか、正しいとか正しくないとか、おかしいとかいうことが自覚されないはずである。
 こういうふうにみると、人の話を聞くというのも正しい意味では、考えているということではないか。もっとも「四の五のいわずにおれのいうことを聞け」などというふうにいうこともある。これは聞くということが命令を意味する場合のことである。そういうときは四の五のということを否定する。つまり聞き手が聞き手としての考えをすすめることを否定する語がついて「聞く」という言葉を使っているのである。裏からいえば、聞くというのは本来は聞き手が聞き手として考えを進めて行くことであるから、特別にそれを否定するときは語を加えなければならぬということになるともいえる。
 さてこのように考えると、先生の話を聞くというのは決して考えないことではない。先生と生徒が一緒に考えていることなのである。ただ問題は一緒に考えることができるかどうかということである。聞くという立場に立って考えるときは、先生の話に同調するわけであるから、外の刺激で考えが進められる。その刺激の出され方が聞き手によってついて行けないような出され方の場合もあろう。そうなると聞き手は考えを進めることができないことになる。そういう意味では人の話を聞きながら考えるということは、よほどよい条件、つまり聞き手に適応した話が行なわれるという条件が必要である。
 「わかりやすく話してやる」などということを先生はよくいうが、そのわかりやすいというのは話し手の方の主観であって、本当にわかりやすいかどうかは聞き手の方の考えが進むかどうかということである。だから1学級50人の生徒がおれば、生徒の方の個性は50通りだから、その50通りの考えの進みに適応する話はなかなかできにくいということになる。聞く方のペースに合わせて話が出されるように考えればよい。
  同じ話でも、一人一人が自分のペースに合わせて聞けるように工夫ができればよいということになる。そういうことができれば、話をするということも考えさせることになるといってよいであろう。

« プログラム学習における思考の訓練について | トップページ | 本をよむこと・考えること »

思考の訓練について」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/162099/15990540

この記事へのトラックバック一覧です: 人の話を聞くこと・考えること:

« プログラム学習における思考の訓練について | トップページ | 本をよむこと・考えること »