最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 2007年5月 | トップページ | 2007年8月 »

2007年7月31日 (火)

日本近代教育史事典から

 矢口新の大学時代の専攻は教育史で、卒論も明治維新における教育制度についてであった。矢口がことあるごとに言っていた「明治100年の教育の打破」という言葉を、私はただ観念的に、文字中心の知識注入型教育の批判としか捉えていなかったが、矢口は教育史的な裏付けに基づく、もっと深い意味をこめていたはずだと今にして思う。矢口の教育史に関する論考はほとんどないが、昭和46年(1971)に刊行された日本近代教育史事典(平凡社)では編集委員をつとめるとともに、産業教育などいくつかの項を書いている。どれも事典と言う制約の中にあって、矢口の教育観がうかがわれる興味深い論考になっている。担当項目は以下の通り。それぞれ項を改めて全文掲載する。
   
37産業教育 
<明治前期>総論  
<明治後期>総論,実業教育費国庫補助法,実業学校令,実業学務局,実業学校の甲種・乙種,実業専門学校,
<大正・昭和前期>総論,職業学校規程,実業教育振興委員会,商業学校の工業学校への転換, 
(*戦後の担当は元木健)

53教育思想・教育研究
<第二次大戦後>総論,教育調査,教育の実験的研究,
                      

教育の実験的研究について

日本近代教育史事典(平凡社1971)p619
教育思想・教育研究/教育の実験的研究 

教育の実験をするということは厳密な意味では成立しないともいえる。医学における人体実験と同じように考えれば、人間に実験するにはすでにそれ以前の万全の研究を土台にしなければならない。一定の仮説に基づいた周到な計画的教育であって、それが同時に研究としての意味をもつというように考えれば、問題はその仮説がいかなるものかということにかかって来る。仮説が現実的な地盤をもっておれば、それは現実の教育の改善ということである。同時にそれが研究として行われる。
 このような意味での教育の実験的研究は戦前にもないわけではなかった。新しい教育実践というのは多かれ少なかれ教育の実験的研究としての意味をもつといい得る。戦前にさまざまな教育思想に基づいて実践が行われたが、それらはいずれもそのような意味のものとして考えてよい。あるいは体験教育とか、あるいは合科教育などという実践が、附属小学校などで行われた。
 戦後においてこのような方向のものとしては、様々な地域でおこなわれた○○プランといわれる教育実践がある。これらはある意味では現実を一歩出た仮説をもって教育を行いその結果を観察し、反省することによって、次第により精細な実践の計画をつくりあげて行くという過程で行われている。戦後社会科の教育を中心にした川口プランとか、本郷プランとか、福沢プランとかいわれているものは、そのような実験研究の産物であるといってもよい。
 教育の実験的研究は比較的長期にわたって行われる必要がある。それは実践を一歩一歩積み上げる必要があるからである。富山の北加積小学校は15年以上の長い積みあげでプログラム学習を実施し、学年のわくをはずして教育を実施できるような実体をつくりあげている。こういう研究のためには周囲の理解と援助が不可欠である。(矢口 新)

教育調査について

日本近代教育史事典(平凡社1971)p619
教育思想・教育研究/教育調査
 
 戦前は教育調査という言葉はほとんど使われなかった。学校調査という概念が使われていた。それは学校活動を実証的に分析するために資料を収集し、それに基づいて評論をする一連の活動をさしていた。戦後「教育調査」という言葉が使われるようになってもその基本的な考え方には変わりはない。ただ学校活動と限らずさまざまな教育に関する問題に対してその実態を明らかにするデーターを収集し、これを分析して評価することを調査とよぶようになっている。いわば実証的な研究の対象が拡がったものと見ることができる。
 戦後最も早く行われた調査は、「日本人の読み書き能力調査」で、現在の国立教育研究所の前身の教育研修所が行なった。これは文盲調査といわれるもので、サンプルをとって日本人全体の文盲率を出そうとしたものである。
 これとは多少異なるが、戦後最も大きい関心をもたれているのが学力調査である。その最初は日本教育学会が昭和26年に行なった義務教育終了期における基礎学力の調査であった。昭和27年(1952)からは国立教育研究所で全国にわたる学力調査が行なわれ、その後文部省にひきつがれて続けられている。この調査も日本人全体の学力水準を出そうという点では、一種の文盲調査と似たところがある。しかし一方、個々のケース、例えば学級や学校、場合によっては個人をとってその学力の診断をしようという考えもないわけではない。前のような考え方は統計学・推計学の利用を重くみるが、後者の場合にはむしろ分析のプロセスに重きを置き、個々のケースの類型化やその評価に力が入れられる。教育調査の基本からいえば後者の方が本筋で前者はその過程において存在するものといえよう。
 戦後、学校教育、社会教育の分野を問わず、またその教育活動の種類を問わず非常に多くの調査が行われているが、そのデーターの収集から解釈、評価に至る一連のプロセスが、まだ真に科学的な方法論として成立していないのが現状である。(矢口 新)

第二次大戦後の教育思想・教育研究について

日本近代教育史事典(平凡社1971)p617〜8
教育思想・教育研究/第2次大戦後(総論)

 この期の教育思想・教育研究の特色は一言にしていえば、科学的・実証的な方向への転換ということができよう。あらゆる思想・研究の動向が、いわば戦前の上からのものという傾向であったのに対して、下からのものという色彩をもっている。第二次大戦直後は国民の大部分が思想的な虚脱の状態にあったといってよい。教育界もその点では同様であった。連合国進駐軍の指令は、戦前とくに戦時中の日本教育のよって立つ地盤ーそれは教育内容における天皇制といってもよいであろうーを崩壊させるものであったから、教育界は一時混乱の状態に陥ったのである。戦時中の「皇国の道」にかわるものが早急にさがし求められなければならなかった。
 しかし連合国による積極的な指導も行われて民主的な文化国家の創造というようなモットーが叫ばれ出した。皇国の道にかわったものは民主主義の哲学であったということができよう。こうして民主教育論が戦争直後の教育思想界を一色にぬりつぶすことになった。しかしこれはもちろん一つの理念というにとどまっていた。いかにそれを具体的に実現するかという目標として自覚されたのである。それがしかしその後現在にいたるまで、わが国の教育の回帰する地盤となっていることは重要なことである。それは極めて漠然としたものではあるが、戦後の教育思想の根底にある理念となったのである。様々な思想が最後にたどりつく所は、民主主義の方向だという意味で注目されなければならない。
 
 民主教育理念の戦後の教育思想における意味にはもう一つ重要なポイントがある。民主主義とは民族の数と同じだけあるといわれるように、それは本来、民族の生活の中からつくられたものであった。しかし戦後の日本においては、それが外からのものとして与えられた。戦前に多くの教育思想を外から輸入して来た日本の教育界としては、そういう態度で民主主義と接するのも当然であったし歴史の必然でもあった。戦後の多くの民主主義教育論は、広く世界史的視野の中で民主教育なるものをとらえ考察しているが、戦後の民主主義教育思想が、日本の新しい時代をつくる教育思想、哲学としては物足らぬとされる所以であろう。いわば余りにもインターナショナルな性格のものである。民主教育思想のこの性格は現在も依然としてあり、そこに戦後教育の反省が行われたりする際には批判される理由がある。この点は戦後の教育思想としてとくに注意しておくべきことである。
 しかし連合国が、否、実際にはアメリカであったが、日本の教育を指導する際に行った具体的な活動の中で、必ずしも観念的でない教育に対する考え方を植えつけていったことも注意してよいことである。アメリカは日本の教育界の各層の指導者を招集して、新しい教育についてのいわゆるワークショップを行なった。これらのワークショプを通じて多くの指導者が会得したものは、観念的なものよりむしろ実際的な考え方、行動の仕方であった。集合教育の場で行われる作業やディスカッションを通じて、極めて実証的な物の考え方を身につけていった。これがその後の日本における教育研究のあり方をつくりあげるのに大きい力となったということができる。このことは日本の教育思想、教育研究の歴史の中では重要な意義をもつと考えられる。
 
 さらにもう一つ、科学的・実証的教育研究の思想を推進したものに、教育の現場の実践がある。教育の現場の実践でその中心になったのは社会科であるが、この社会科の具体的な教育実践を通じて、教育の内容・方法についての民主的思想が訓練された。教育内容の編成、その方法の実証的な性格などに目を開かれることによって、近代教育のリアリズムの精神を教えられたのである。教科書教育の排除、教師中心から生徒中心へ、ラーニング・バイ・ドゥーイング(learning by doing)、さらには見学、調査、ディスカッション、デモンストレーション活動などにそのことが示され、その中には滑稽な行き過ぎもあったけれど、そのこと自体よりも近代教育の根底にある実証的精神を教えられたのである。
 これらの教育方法論の根底にあるのは、広くいって一口に経験主義の教育理論といえるかも知れない。そういう思想が輸入されて、当時の教育を支配したということもできるけれども、それ以上に大切な事は、それを通じて実証的な精神、近代教育のリアリズムにふれた点である。つまり単なる観念的な思想として受け入れたのでなく、教育についての考え方が揺り動かされているのである。このような思想的背景のもとに、教育の実証的・科学的な研究が次第に普及したのは、戦後の教育研究の動向の一大特色であるということができよう。
 
 戦後は、教育研究のあらゆる分野で教育調査が行われるようになった。行政府の文部省には調査局がおかれた。戦前には調査部があったが、その仕事は諸外国の教育制度の翻訳が中心であって、戦後のものとは著しく性格を異にするものである。調査局の仕事は、行政・財政の調査が主であって、そこにはわれわれの国の実態を明らかにしようという考え方がある。国立の教育研究所も昭和25年(1950)以降、国内の教育実態の調査を行なう期間として出発している。そこでは、小中高等学校の教育課程や授業の実態、生徒の生活の実態、さらに勤労青少年の生活や教育の実態などさまざまな教育の実態調査を行いつつある。このような研究所は、その後次第に全国各都道府県に普及してほとんどすべての都道府県および大都市は教育研究所を所有するに至った。そこにおける研究の主なるものはいずれも実態調査といってよい。
 教育調査、教育の実証的研究を普及する力となっているのは、大学の教育学部、学芸学部における教育内容に教育社会学・教育心理学などが導入されたことも大きいのである。このことを機縁として、教育研究の中に社会学的方法としての調査、心理学的な方法としての実験的方法が導入されて来た。これら大学の教育学部等における教育調査も最近優れたものがあらわれるに至っている。またこのような実証的方法は、実験的方法と密接な関係をもたざるをえないので、いわゆるアクション・リサーチ(action research)の方法も採用されるに至る。
 このような方法論あるいは考え方は、戦後の教育研究のあらゆる分野において見られるのである。例えば歴史研究においても、最近の日本近代教育史研究のいくつかの業績が、あくまで実証的にしかも実際に行われた教育の事実の歴史に迫ろうとしたものから出ていることにあらわれている。戦前の教育史がとかく制度の歴史であったのに比して、そこには大きな前進がみられるのである。
 さらに比較教育の研究分野においてもこの傾向がみられる。単なる制度の比較でなく、その根底にある実体的なものをとらえようとする研究はたとえば牛島義友の「西欧と日本の人間形成」の比較研究を生み出している。最近はこの方向でアジアへも目がむけられている。
 実証的な研究はイデオロギーの分野に及んでいる。はじめイデオロギーとしてのみ受け入れられたマルキシズム教育理論が、最近はソヴィエトの科学的研究実践の実体へ目を向けるように変化しつつある。(矢口 新)
<参考文献>柳久雄・川合章編「現代日本の教育思想」戦後編S37,船山謙次「戦後日本教育論争史」正続S30-33,「近代教育史」教育学全集3(S43) , 細谷俊夫・仲新編「教育学研究入門」s43,

« 2007年5月 | トップページ | 2007年8月 »